このシリーズでは宗教について、わたし(sora.m)が留学中に感じたことを書いていきます。
わたしも含めた多くの日本人は普段、宗教のことは無意識だと思います。
ですが、わたしの見てきた国では宗教は生活と密接に結びついていました。
「日本人にとって宗教とは?」「それに代わる役割を持つものはあるのか?」
といったことをぼんやり考えていました。これからいくつか取り上げていきたいと思います。
(それぞれの宗教がどのようなものなのかという説明は、
インターネット上にもっといいサイトがたくさんあると思うので、ここでは省きます。)
①日常生活の規範意識
ここではイスラム教を例に、
日本人の行動の規範意識はどこから来るのか考えてみたいと思います。
わたしはトルコ系の友人の家にいたので、イスラム教はいつも身近なものでした。
ですが日本に暮らす日本人からすると、未知の宗教だという方も多いと思います。
多くの方に知っていただきたいので、写真で少しでもイメージを膨らませてみてください!
モスクといって人々が礼拝する場所です。
これはトルコの美しい「ブルーモスク」です(*´Д`)
これまた美しい「アヤソフィア美術館」です。
わたしはイスラム教と言えば、コーランに書かれたこのような文字を連想します。
友人のお母さんは読めるそうですが、若い世代は読める人が減っていると思います。
さて、本題へ。
わたしが滞在中に感じたイスラム教のイメージは、
弱い立場の人を尊重する宗教だなという印象でした。
渡航直後はトルコ人コミュニティで生活していたので、会う人はほぼトルコ人でした。
ドイツに来たばかりのわたしに、ご家族もそうですが、
近所の人・お店の人・道で会う人などすごく親切にしてくださいました。
それは宗教の影響が少なからずあると思います。
「神様がみているからこの人に親切にしよう」と考える人が多いのではないでしょうか。
ここで反対に日本のことを考えてみましょう。
よく外国人は「日本人はみんな親切だ」と言います。
でも日本人は他の多くの外国人のように、心のよりどころや行動の規範になる宗教がありません。
それなのに人に親切にすることができ、外国人から「親切だ」という評価がもらえるのは、
日本人は悪い行動をしないようにお互い監視しあっているからなのかなと思いました。
古代からのムラ社会での規範意識が今も受け継がれているのかもしれません。
(残念ながら、最近ではビックリするような不親切を受けたという外国人の声も多く聞きます。
お互いが無関心になってきているといわれていることと関係しているのでしょうか。
ひとりひとりが気を付けて、考えていかなければいけない問題だと思います。)
ところで、話はそれますが…。
最近は"IS"関連の事件が多く、イスラム教に悪いイメージを持つ人が多いようですが、
イスラム教徒とかかわったことがある人なら
"IS"は真のイスラム教徒ではないことを知っていると思います。
ちなみにこれもアヤソフィアの写真で、
壁画をはがしたらキリスト教系の絵が出てきているところです。
ということはアヤソフィアは昔は教会として使われていたということです。
宗教の融合は、意外とどこにでもあるものなのかもしれません。
だからこそ、他の宗教の信者を狙って攻撃する"IS"はイスラム教ではないといえます。
どんな宗教でも、他の宗教を否定するのは道理に反していると思います。
イスラム教に偏見を持つ前に、当事者とかかわってみてほしいです。
さて、だいぶ話が脱線しましたが…(笑)
行動の規範意識とそのもとになる考え方についてつらつらと書いてみました。
わたしの説はあくまで一個人の考えですが、
多くの方に考えていただけるきっかけになればいいなと思います。
では、また次の記事で!
sora.m
コメント